日本の米先物取引市場は、ただ一つ、大阪にある㈱堂島取引所だけだ。商品先物取引法に基づき、監督官庁である財務省と農林水産省が認可したのだから、間違いない。だが残念ながら、㈱堂島取引所で取引されている米穀指数先物取引、通称「堂島コメ平均」は、「先物になっていない」。厳密に言えば、堂島コメ平均で形づくられる価格は、先物の本来的な役割の一つである「先行価格指標」たりえていない。現物の受渡を一切伴わない指数取引だから、といった単純な理由ではない。これを説明するには、およそ300年前に始まった米先物の歴史から振り返り、現在の「堂島コメ平均」がどのような経緯で認可されたかを繙かねばならない。今回は中篇で、試験上場の10年間を説いていく。なお以下の中篇・有料記事分をご覧になった方々には、残る前篇・後篇を無償で提供する。
72年ぶり米先物復活、政権交代が追い風に
平成21年(2009)9月、民主党(当時)政権の誕生が、後に考えれば取引所にとってチャンス到来となった。
平成18年(2006)に農林水産省が「不認可」を判断した際の根拠はただ一つ。「政策との整合性」だった。「政策」とはこの場合、生産調整(減反)を指す。
政権奪取なった当時の民主党は、早速次々と前・自公政権との違いを打ち出す。その一つが「農業者戸別所得補償」だった。生産調整への参加を選択制とし、参加・不参加とは無関係に一律10a1万5千円を補償する。「バラまき」などの批判はともかく、関西商品取引所(現・㈱堂島取引所)と株式会社化していた㈱東京穀物商品取引所(現・㈱東京商品取引所)はこれを「かつての生産調整ではなくなったのではないか」と捉えた。つまり「今度は政策と整合するのではないか」。
現実に2取引所が揃って米先物の試験上場を再申請したのは、平成23年(2011)3月8日。東日本大震災が発生する3日前のことだ。後から考えればこのタイミング、取引所にとっては様々な意味で「吉」に働いたと言える。
それはともかく、申請当初、戸別所得補償という「政策」と先物との「整合性」をめぐっては、取引所とJA系統とで解釈が真っ向から異なっていた。取引所は、例えば当時の㈱東京穀物商品取引所・渡辺好明社長が「戸別所得補償は全国一本の補償であって、経営の規模や内容によっては価格変動リスクを全て吸収できない設計になっている」と発言している。つまり増えたリスクをヘッジする仕組みとして先物が必要で、故に整合性がとれているという解釈。ところが全中(全国農業協同組合中央会)は公式な「考え方」のなかで、「戸別所得補償制度を中心とした現在の米政策は(略)生産調整への誘導をさらに強くした政策となっている」と主張した。
どちらをとるか。結果的に農林水産省は7月1日付で、米先物の試験上場を認可した。その際の理由書には、「米政策については、前回の申請時とは異なり、戸別所得補償制度の導入により、価格支持政策から所得政策に抜本的に転換。また、米の需給調整については、メリット措置の大幅な拡大により生産者の経営判断による選択制に大きく転換。したがって米の先物市場の開設は、現在の政策と整合的でないとはいえなくなり、『生産・流通に著しい支障を及ぼす恐れがあること』に該当しないと判断した」と書いてある。
この結論に対して当時「とかく自民党政権時と真逆なことをやりたがる民主党政権だから実現したこと」などという揶揄も聞かれたものだが、一つには唯一の公的現物市場だったコメ価格センターがこの年に解散しており、「先物を認めなければ、この国から価格指標が消えてなくなる」との〝危機感〟も要因ではないかとも指摘されている。
平成18年(2006)の「不認可」と平成23年(2011)の「認可」で、もう一つの環境の違いは、監督官庁である農林水産省の省内組織変更があげられる。平成18年当時、先物の認可・不認可を判断する部署は「総合食料局」で、ここには食糧行政担当部署も含まれていた。ところが平成23年の担当部署は「食料産業局」で、食糧行政担当部署は別局、「生産局」に移っていた(現在は農産局)。つまり、こと米をめぐって「先物」と「現物」とが、農林水産省内で同一の部署だったか個別の部署だったかという違いは、(後になってだが)大きな違いとして指摘されている。
ともあれ晴れて認可されて後、8月8日になって、㈱東京穀物商品取引所「関東コシヒカリ」と、関西商品取引所「北陸コシヒカリ」の取引が始まった。戦前に廃止されて以来、実に72年ぶりの復活だった。
取引初日の出し値は、東が13,500円、西が13,700円だったが、この日の終値は、東が3限月そろって14,100円、西が11月限14,620円、12月限14,840円まで跳ね上がった。
ここまでは「ご祝儀相場」という解釈も可能だったが、後に取引所自身が「想定外」としたのが、西の1月限だ。第1節で19,210円まで大暴騰したのである。終値こそ18,910円に落ち着いたが、この大暴騰は関係者に衝撃を与えた。「価格の乱高下」を極端に嫌う先物反対勢力に口実を与えるようなものだからだ。
さすがにこんな相場が長続きするはずがなく、9月13日には15,000円を割り込むようになったが、波乱の幕開けであったことは間違いない。
加えて大問題が浮上する。「現物受渡の際、福島産米をどうするか」だ。震災・原発事故のまさしく当年のこと、対応を誤るわけにいかなかった。
2年に一度の関門くぐりるも続け10年で幕
晴れて72年ぶりに米先物が復活したとはいっても、「試験上場」に過ぎない。商品先物取引の試験上場期間は、3年が通例だ。ところが米先物は2年を申請し、認可されてしまった。このため以降、2年に一度、試験上場申請を認可するか否かの関門をくぐらざるを得なくなる。先に指摘しておくと、結果的には4度延長し、72年ぶりに復活した米先物は10年で、再び廃止に追い込まれることになる。
第1の関門は、平成25年(2013)に巡ってきた。このわずか2年の間に、またもや環境が激変していた。まず政権が民主党から再び自公連立に戻っていた。かつて「不認可」判断を下したのと同じ政権下だ。また平成25年2月12日、㈱東京穀物商品取引所が米先物を関西商品取引所に移管、その他農産物先物を㈱東京工業品取引所に移管して解散、㈱東京工業品取引所は現在の㈱東京商品取引所に名称変更し、関西商品取引所も大阪堂島商品取引所に名称変更した。これにより米先物は、開祖・堂島の名を復活させた取引所に一本化された。
その堂島商取、この年に迎える試験上場の期限に対応すべく、早々に動き出した。会内に外部有識者からなる「コメ試験上場検証特別委員会」を設置、4月19日から議論を開始したのだ。
委員会は5回に及ぶ会合の末、6月28日になって、報告書を提出した。取引量、生産・流通への影響、市場機能、商品設計・運用など、広範な検証を重ねた結果なのだが、特筆すべきは「その他留意すべき事項」だ。取引所は認可された最初の年、福島産米を現物受渡玉から除外することがなかった。報告書には「こうした取引所の対応は、政府の方針、考え方に沿ったものであり、市場としての信頼性を高める上で適切な対応であったものと認められる。また、結果として、これらの対応が取引所で受渡しされる米は安全との印象を当業者に与え、福島県産米の円滑な受渡しに寄与した点があったと考えられる」と、高く評価した。
その上で、「取引所においては、この検証の結果を十分に踏まえ、米先物取引の本上場への移行または少なくとも試験上場の延長を申請することについて、諸般の状況も踏まえながら検討されることを期待する」と結んでいる。お墨付きを得たわけだ。堂島は7月8日になって、試験上場の延長を申請した。試験上場期限切れ当日の8月7日、農水省は延長申請を認可した。
しかし認可の際、農水省は同時に「(食料産業)局長通知」も示した。「際限なく試験上場の延長が繰り返されるのではないかとの懸念が示されている」とした上で、「仮に米の試験上場の再延長申請があった場合」、これまでの認可基準に加え、「過去に本上場に移行した商品の取引水準を判断の要素とすることを基本とする」と釘を刺したのである。つまり、ここから堂島には、「取引量の増大」という重たい使命がのしかかることになった。
第2の関門は、平成27年(2015)に巡ってきた。堂島はこの間、様々に商品設計を改め、取引参加者の利便性向上に努めた。例えば平成24年(2012)に導入した「合意早受渡」は、明らかに現物受渡の活性化につながった。平成27年には標準品を一新、大阪コメを量販店向け、東京コメを業務用向けと位置づけを明確にした上で、現物受渡の際の銘柄間格差をゼロにした。いずれも当業者に優しい、あるいは優しすぎる商品設計で、取引参加者は当業者が圧倒的になっていく。すると相場は乱高下せず、それは反対勢力の主張を逸らす役目にはなったが、投資家の参加を促す材料としてはマイナスに働いていった。
堂島商取は、この年、平成27年に迎える試験上場の期限に対応すべく、早々に動き出した。3月23日には「コメ試験上場検証特別委員会」を再開(委員に一部異動あり)、再検証に入ったのである。7月1日になって登場した報告書は、2年前と全く同じ結論になっていたが、一つだけ相違点がある。再延長の期間を「3年とすべきとの意見もあった」と明記した点だ。
当時、平成30年産から、米政策の変更が確定していた。「いわゆる減反廃止」だ。政策の中身がどうあれ、明らかに需給が混乱するだろうから、その際にショックアブソーバーとしての先物が機能していてほしい。そうした思いがありありと伝わる「3年」という選択肢だったが、堂島はこれまで通り「2年」を選択せざるをえなかった。7月21日、「2年」の再延長を申請する。
8月6日、農林水産省は申請を認可したものの、再び「(食料産業)局長通知」を出した。「試験上場は、市場の成長性を見定める制度であり、際限なく延長を認めることは、制度の趣旨に合致しないものである。これまで農産物先物市場の試験上場で3回以上延長された事例がないことについて、十分に留意すること」。前回、平成25年(2013)の局長通知より、口調が一段と厳しいものになっているのが分かる。これを受けて、堂島の岡本安明理事長(当時)は、同日発表したコメントのなかで、「2年後には、試験上場の再々延長ではなく、本上場をめざしてまいります」と宣言している。
第3の関門は、平成29年(2017)に巡ってきた。前回の宣言通り、今度は試験上場の延長ではなく、本条上の申請に向けた関門――と、当初は思われていた。
商品先物取引法では、試験上場の認可要件が「当該商品の生産及び流通に著しい支障を及ぼし、又は及ぼす恐れがある」に該当しないこと、なのに対し、本上場の要件となると「当該商品の生産及び流通を円滑にするため必要かつ適当であること」と『積極要件』に一段ハードルが上がる。
しかも挙証責任は申請者側にあるのだが、農林水産省は平成27年(2015)に再延長を認可した際の局長通知のなかで、「将来的に米の本上場申請が行われた場合には、法律上の認可基準を厳正に運用することとし、生産者や集荷業者等の幅広い参加を得ながら、安定取引の拡大といった今後の米政策の方向にも沿ったものとなっているかどうか、また、取引の公正を確保し、委託者を保護するために十分であるかどうか等についてゼロベースで検証を行うこととする」と宣言している。「役所も本気」ということだ。
もちろん堂島側が手をこまねいているはずもなく、平成28年(2016)10月21日、東京コメ、大阪コメに次ぐ「第3の市場」、「新潟コシ」を上場した。取引単位を1.5tに小口化、受渡場所・受渡供用品を限定し、隔月6限月、つまり「1年先のコメの値段が分かる」設計だ。新商品はまんまと当たり、取組高・出来高は増えたが、反面で従来商品である東西コメの停滞を招く結果ともなっている。
平成29年3月28日からは「コメ試験上場検証特別委員会」が再び再開された。とりまとめたのは7月4日。過去2度の報告書と異なり、「以上を総合し、客観的に検証を行った観点に立てば、本上場の認可基準を満たしており、本上場の申請が望ましい」というシンプルで他に選択肢を与えない結論となっているのが特徴だ。
これを受けて堂島商取は7月11日、即座に本上場を申請した――のだが、7月27日になって横槍が入った。自民党が農林水産省に対して「申入れ」を行ったのである。その内容は、要すれば本上場申請を「認めがたい」と退け、「試験上場の(再々)延長であれば」認めるとしたものだった。裏に反対派の急先鋒・JA系統の影が見えるとはいえ、与党の申入を無視するわけにもいかず、堂島商取は8月4日になって試験上場の再々延長を申請しなおした。当然のことながら申請はスンナリ認可され、堂島商取は本上場申請を取り下げる代わり、2年の延命を手にしている。
第4の関門は、令和元年(2019)に巡ってきた。結果的に最後の関門だったこともあって、早々に、これまでとは異なる様相を呈した。例によって再開した「コメ試験上場検証特別委員会」とりまとめに基づき、今度こそとばかり、再び本上場を申請したのだが、7月22日という早いタイミングで農林水産省が「不認可」判断を下したのである。
仕方なく堂島商取は試験上場の再々々延長を申請することになる。これを認可する方向であると農林水産省は8月6日の自民党会合に報告。その際、「十分な取引量が見込まれない」こと〝だけ〟を不認可の理由としてあげている。これを受けて自民党は、またも「申入れ」を決議。このなかで今回の試験上場延長が「最後通告」(2年後の延長はない)ことを指摘した。
またもや農林水産省は8月7日の試験上場期限ギリギリになって申請を認可した。
令和3年(2021)は、「関門」ではない。結論から言えば、72年ぶりに復活した米先物が10年で再び廃止に追い込まれた年だからだ。
ただ、事実として堂島の本上場申請に農林水産省が「不認可」判断を下したのではあるが、今回は堂島側にも問題がある。内々に「試験上場の延長なら認可する」と打診されていたにもかかわらず、自ら「廃止」の道を選択してしまったのである。
というのもこの年、堂島商取は株式会社化し、「㈱大阪堂島商品取引所」として再スタートしたばかり。前回までを踏襲せず、「コメ試験上場検証特別委員会」を再開することなく、最初から「試験上場を申請しない」方針を表明、言わば背水の陣で本上場申請に臨んでいた。
《後篇に続く》